わたしは気に入りの本を何度でも読み返すほうで、
最近また森茉莉を読んでいた。
好きなのです。
たとえば、
薔薇や菫はその字までが美しいと言う感性、
硝子(ガラス)を見て始終妄想に浸れるところ、
好きなものはベタ褒め、嫌いなものは身も蓋もないほどの毒舌で切り落とす、
そしてついでに、
森茉莉が1月7日生まれで、かつて下北沢に住んでいて、パリかぶれであることに、
1日違いの1月6日生まれで、かつて下北沢に住んでいて、同じくパリかぶれであるわたしは、
勝手に親近感を覚えていたわけです。
今回読み返していて、巻末の年表を見たら、
晩年住んでいた場所が、
経堂の、今わたしが住んでいるところから
歩いて5分もかからないくらいの場所だったらしい。
それを何かの縁、と感じるのは
ファンのますます勝手な感情移入かもしれません。
時々、不思議なくらい、なにかに手繰り寄せられるみたいに、
一見バラバラの物事が繋がっていくことがあって、
そのたび大げさにもそれを、運命と感じたりする。
わたしは信仰も霊感もない人間だけど、
なにか大きなうねりというか、
気の流れのようなものが、
節目節目で起きている感覚はある。
そしてたぶん、そういう時期は悪くない。
今までを振り返ると、
自分が新しい場所や、新しいステージに移ろうとする時に、
そのうねりが起きて、
約束されていたように物事が繋がりだし、
わたしの背中を押してくれたように思います。
なんとなくまた、今、そんな時期な予感。